「典人ー、お疲れー」
「おう」

図書室で適当に時間を潰し、そろそろ部活が終わる時間だなとサッカー棟へと向かえば、部活が終わった典人がちょうど出てくるところだった。 労いの言葉をかけていれば、私たちの横をお疲れ様ですと典人の後輩たちが声をかけては去っていく。 そんな後輩くんたちが私たちを見る目は、私が彼らと初めて会った時から変わらない。好奇の眼差しだ。

「あの子たち絶対に勘違いしてるよなー」
「だろうな。……あー、めんどくせえ。ああやって勘違いされるのマジで迷惑なんだけど」

きっと彼らは私たちの仲を勘違いしているのだろう。 そして気にはなるが軽々しく聞くものではないと思っているため、口には出してはいない。 代わりに視線で訴えてくる。 同級生の中にもそういった人たちは何人もいる。 私と典人は所謂腐れ縁というやつで、ただよく一緒にいるだけに過ぎないというのに。お互いそのことを聞かれればきちんと違うと答えている。 私は典人をそういう目で見ていないし、典人もそれは同じだ。 私のことを女などとは思っていない。

「そう言いながら今日だって一緒に帰ってくれるくせにぃ」
がどうしても帰りに買い物に付き合えとか言うからだろ! ったく、こっちは部活で疲れてるっていうのに…」

大体いつもお前は俺をこき使って。一人で買い物ぐらい行けよな。 そう言ってぶつぶつと典人は文句を呟き始める。 でもそう言いながらもちゃんと付き合ってくれるんだから典人は良い奴だ。 私は典人のこういうところに甘えてしまっているんだろうなあ。 これを口にしたら調子にのるだろうから言わないけど。

「部活といえば、神童くんどうだった?」
「はぁ?」
「今日もかっこよかったのかなあと思って」
「……知るか。そうなんじゃねーの」
「知らないって何よ!ずっと部活やってたんでしょ!」
「そんなこと気にして部活しねえよ…気になるならファンの奴らと同じように見てれば良かっただろ」

ファンの子たちと同じように部活をする神童くんを見守る自分の姿を想像してみる。 うん。これはない。ありえない。私には彼女たちと同じことはできない。

「それだと近すぎるんだよね。私としてはアイドル的なポジションっていうか。テレビとかで見れてれば良くてライブとかまでにはわざわざ行かなくてもいいっていうか」
「いや、分かんねーよ…」
「とにかく、凄く遠くからそのかっこよさを見れればいいの!」

神童くんとは一年生の頃に同じクラスで、一時期隣の席になれた際に少しだけ会話をした程度だ。 一年の時から人気があった神童くんのことを、私は他の子が思うのと同じようにかっこいいなと思った。 でもそれだけで、恋愛的なものではない。憧れなだけ。アイドルみたいなものなのだ。 だからこそ、ただそのかっこいい姿をちらっと見れたりどういう活躍をしたかを聞きたいだけで、仲良くなりたいとかは思っていない。

「あ。神童くんといえばさ」
「今度は何だよ」
「今、女子の間であるおまじないが流行ってて」
「ああ、あれか、浜野がこの前言ってた…机に太陽のマークを書くとかいう」
「太陽じゃなくて月ね。月。好きな相手の机に月のマークを書くと両思いになれるってやつ。 特に放課後にやると効果的だとか。それにしても浜野くん女子の間で流行ってることなのによく知ってるね…」

まあ、彼なら知っててもおかしくはないとは思うが。 前にも似たようなことが流行った時に浜野くんからそのことを教えてもらったことがある。

「で、神童くんの机に月のマークを書こうとみんな躍起になってるみたい。 ただあのファンの多さでしょ? 書いても消されてたりとかでまだ誰も成功してないんだって」
「勝手にそんなもの書かれる神童からしてみれば迷惑な話だな…っていうか、そんなもんで両思いになんてなれるわけねーのによくやるよな」
「だよねー。私もそう思う。所詮おまじないはおまじないだし。魔法じゃないんだから」

本当に女子はこういうことがたまらなく好きな生き物だと思う。 似たようなことを前にしていて、しかもそれが効果がなかったというのにまたも飛びつく。 どうも今回も上手くいく筈なんてないのに、「もしかしたら」という可能性にかけるのだ。 私も勿論、おまじないといったものは好きな部類ではある。 でも今は好きな相手はいないし、あまりにも これは効果があるように思えなさすぎて例えいたとしてもやりはしないだろう。 それこそ、魔法でなければ無理な話だ。

「そういえば、神童で思い出したけど」
「えっ、なに!?どんなことを思い出したの!?」
「一年の頃の話なんだが、」
「おーい、ー!」

聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、声がした方へと振り向く。 一乃くんだ。仲の良い青山くんとともに、こちらへと向かって来る。

「委員会の書類、明日提出だったよな。書いてくれたか?」
「あれ、明日だったっけ」
「……明日だよ。おいおい、任せてくれっていうから任したんだぞ」

一乃くんとは同じクラスであり、委員会も同じである。 先日の委員会の際に指定日までに提出するようにと書類を出されたのだが、一乃くんは部活で忙しいから、と私自身が言って引き受けたものだ。 明日ではなく明後日だと勘違いしていた。早めに書いておかないのが悪いのだが。 しかし、家で書いてしまえば問題ない。そう面倒な書類ではなかった筈だ。 すぐに書き終えれる。 そう思い鞄の中を漁るが、どうもそれらしきものは見当たらない。 ということは、教室に置き忘れている可能性が高い。

「ごめん典人、ちょっと教室行ってくる」
「早くしないと置いていくからな」

そう言うものの、典人はいつもよっぽどのことがない限り待っていてくれる。 素直じゃない奴、と内心くすりと笑って教室へと足早に向かう。 時間が時間なせいか、校内には人が少ない。 私の足音が響き渡り、何だか自分が随分と大きな音を出しているように感じられる。 稀に教室に一人か二人いる程度で、殆どの生徒は部活だったりもう帰路についたりしているらしい。
そんなことを考えていると目的地である教室へと辿り着き、足を止める。 やはり教室には人が全くいない。いるのはたった一人だけだ。 私が教室前にいるのに気が付かないらしく、じっと目の前にある机を見つめている。 誰だろうか、とその人物の顔を見てみて、少し驚いた。 何故此処にいるのだろうか。とりあえず声をかけることに決め、教室へと足を踏み入れた。

「神童くん?」
「うわあっ!?」

声をかければ神童くんはとても驚き、、と小さな声で私の名前を呟く。夕方のせいか、少しだけ顔が赤く見える。 そんなに驚かなくてもいいのに。しかも、神童くんはちょうど私の机の所に立っていた。どうやら見つめていた机は私のもののようだ。 だからかもしれない。

「な、何で此処に…」
「いや、それは私の台詞なんだけど。神童くんこそ何で此処に? クラス違うのに」

神童くんはええと、とか、その、とか口にしながら目を泳がせしどろもどろしている。 こういった姿は中々新鮮かもしれない。 そしてこんな姿でもかっこいいと思えるのだから神童くんって凄い。ああそういえば神童くんと言葉を交わすのって凄く久しぶりなんじゃないだろうか。

「そうだ、い、一乃の机に、用事があって」
「一乃くんの机ならあそこだよ」

なんだ、私の机と分かっていたわけではないのか。突然のことに過剰に驚いてしまっただけらしい。 がっかりしたような、安心したような気がしながらも、一乃くんの机を指し示す。一乃くんと私の席とはかなり離れているのだが、別のクラスだから間違えるのも仕方ないのだろう。 そうかありがとうとと言い神童くんはそそくさと一乃くんの机の方へと向かう。 一乃くんの机に用事って何だろう。サッカー部関係のことだろうか。
首を傾げつつ自分の机の中を探れば、すぐに目当ての物は見つかった。あった。この書類だ。
神童くんの様子を見てみると、彼は一乃くんの机の前で困惑した表情を浮かべていた。 困っているからなのか、私の方をどうもちらちらと見てくる。 一乃くんを呼んできた方がいいのだろうか。あれから帰宅したとしても、まだそんなに遠くへは行っていないだろう。 よし、神童くんにそう伝えよう。そう思って口を開いた瞬間、ふと、自分の机に違和感を覚えた。 何やら見知らぬ落書きがある。私は机に落書きをした覚えなんてない。 つまりは誰かが私の机に書いたのだろうか。では誰が。 だって、何のためにこんな月の落書きなんて、

「月の…マーク…?」

がたんっ、と音がしたかと思えば椅子がひとつ床に転がっていた。更に、からん、という音がして鉛筆が一本床へと落ちる。 椅子を倒し、鉛筆も落とした張本人である神童くんは、ぱくぱくと口を動かしている。 神童くんの顔が真っ赤に染まっているのは、夕方のせいではないだろう。そういう赤さではない。

「お、俺は、そのっ」

そこまで言って言葉に詰まったのか神童くんは口を閉ざした。 言葉の続きを待って私は神童くんを見つめる。 お互いの視線が交わる。たった数秒のことなのに、それは何十分、何時間という長さかのようだった。 すると、神童くんはこの沈黙に耐えられなくなったのか顔を真っ赤にしたまま、勢いよく走り去って行った。 ほぼ一瞬の出来事だった。事態を把握するのに頭が追い付かない。
混乱する意識が戻ってきたのはその数分後のことであり、携帯が鳴っていたからだった。 典人からのメールだ。メールを開いて内容を確認する。 用事ができたから先に帰るという旨の連絡だった。買い物はまた後日付き合ってやると。 そして、先程ほど言いかけていた神童くんについての話である。

『さっきの話だけど、一年の時、神童に俺とお前は付き合ってるのかって聞かれたんだった。 あの頃は色んな奴に同じこと聞かれたからすっかり忘れてた』

携帯を閉じ、神童くんの言動を思い返す。 もしかして、なのだが、自惚れでなければ、神童くんは私のことが好きなのではないだろうか。 いつからそうなのかは分からない。そもそも私のどこがいいのかは分からない。 それでもそういうことなのだ。あの反応から神童くんが私の机に月のマークを描いたのはほぼ間違いない。 私としては神童くんはアイドルみたいなもので、恋愛感情はないのに、それなのに、 どうしてこんなにもどきどきしてさっきの神童くんの顔が頭からはなれないのだろう。 いくら憧れの相手が自分のことをそういう対象として見てくれているのだと 理解してしまったとしても、あまりにもそれは異常だった。
なんだかたまらなく恥ずかしくなってきて手で顔を覆う。 その際に視界に入ってきた机に描かれた月のマークが、私を余計に気恥ずかしくさせた。


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title : 夕凪