「どうして、助けたの」
ざあざあと降りしきる雨の中で、それははっきりとクロウの耳に届いた。 か細く、今にも消えてしまいそうな声だというのに。 「あのまま死なせてほしかった。何で助けたの。……私は、死にたいのに」 雨の中で彼女は泣いていた。 死なせてくれと。 助けないで良かったのにと。 それがとても、クロウには馬鹿馬鹿しく映った。 彼女は何も分かっていないのだとすら思えた。 いや、実際に分かっていなかったのだ。 だからこそ、クロウは彼女の手を取った。 無理矢理引っ張り上げたというべきかもしれない。 それが最善の判断だと思ったし、そうであったに違いなかったのだから。 「もう、クロウってば寝てる!」 閉じていた目を開けば少し不機嫌そうなの顔が随分と近くにあった。 あと少しで顔と顔が触れてしまえそうな距離で、思わず目を瞬かせソファから飛び退いてしまった。 「バ、バカッ、ちけぇよ!!」 「え? あっ、ご、ごめん!あんまりそういうの気にしてなかった!」 顔を赤くしも慌ててクロウと距離を取った。 そういえば先日は立場が逆で同じようなことがあったなと思い出す。 クロウは音楽の勉強の一環としてギターを教えてほしいと言うので、そのために頻繁にが住んでいるマンションの一室に来ており、今日もそのためにやって来たのだが早急に済まさねばならない用件をが片づけているのを待っている間にどうやら眠ってしまっていたらしい。 火照った顔に手をあて、何てことをしてしまったのだと恥ずかしがっているに視線を向けつつ、どきどきと煩い胸を深呼吸しなんとか落ち着かせる。 これでも、は女であり自分は男であるため多少なりとも意識しているのだ。 では、彼女に恋愛的な意味で好意を抱いているのかと言われるとクロウには分からない。 過去のこともあり、の為に様々なことをしてやりたいという気持ちはある。 しかしそれが恋愛にも繋がるのかといえば、さっぱり分からないのだ。 再度深呼吸をしていると、ふと、の意識がどこか別のものに向けられているのを察した。 心ここにあらず、という言葉が相応しい。 「ンだよ、また寝不足か?」 「うーん……最近、寝つきが悪くて」 心配するようなことじゃないよ。何でもないようには笑う。 だがどう見ても「何でもない」ようには見えない。 ここ数日、はどこかおかしかった。 何か考え事があるのかぼうっとしていることが多い。 それもこれも、先日のあの出来事からだ。 あの時には何かを見ていた。それがクロウには何かまでは見えなかった。 しかしそれから様子がおかしい。 問いただすことは簡単にできるが、それでが理由を教えるとは思えない。 何でもないと言い、こうしてまた笑うのだろう。 「……なあ、」 「うん?どうかした?」 「何かあったら、オレを頼れよ。一人で抱え込むな」 突然の申し出には驚いたような顔をして見せた。 だが、こうして口にしなければきっとはクロウを頼ってはくれない。 本人としては迷惑をかけるわけにはいかないという思いからなのだろうが、むしろどれだけでも迷惑をかけてほしい。 出来る限りの力になってやりたい。そういう思いがあった。 そしてこれはクロウだけではなく、アイオーンたちも同じだ。 彼らものことを気にし、力になりたいと思っている。 どんな些細なことでも彼女の負担を少しでも減らせるならばと。 前を向き、笑っていられるようにと。 「…………うん、そうする。ありがとう」 ほんの少しの間をおいて、は軽く頷き、微笑む。 果たして今後、がクロウを言葉通りに頼るのかはクロウには判断がつかない。 それでも頼ってくれるだろうと信じるしかない。 「ほ、ほら、分かったら早くギター持って来いよ!」 「うん。ちょっと待ってて」 どこか気恥ずかしくなってきて、それを誤魔化すようにそう言えばはクロウに背を向け、ギターを保管してある部屋へと小走りで向かう。 先程とはまた違った胸の鼓動が煩い。こんなのは予定外だ。 そわそわとするのをどうにか落ち着かせようとを待つ間に部屋を見渡すが、改めてここはが生活をしている部屋なのだという考えが頭の隅で邪魔をして余計に落ち着かない。 そうしていると、近くに置かれたゴミ箱にくしゃくしゃに丸められた紙屑が視界に入ったが、の足音が聞こえてきたため、何も見なかったかのようにそれから視線を逸らすのだった。 top back |