哀烈火



 ゆらゆらと、炎は揺れる。
 まるで、この人の心を表しているかのようだ。


 「共に果てよう、幸村」


 そう言った兼続の目には、光などなかった。
 あるのはただ、真っ暗な闇だけ。
 嗚呼、この人は何もかも失ってしまったのだ、と幸村は悟った。


 「兼続殿………」
 「私と一緒に死んでくれ」


 私もお前も生きる意味を失った。
 確か大阪の陣で兼続はそう言っていた。


 (…三成殿が亡くなられる前はこんな方ではなかった筈だ)


 三成は今は亡き大切な友。
 そして同時に、幸村にとって愛しい存在。
 彼の死が、兼続をここまで変えてしまった。
 ここまで、追い詰めた。
 幸村が三成の分まで生きようとしているのに対し、兼続は三成の後を追う事を選んだのだ。


 (どうすれば…一体どうすればいい……兼続殿の目を覚まさせる為には!!)


 もうこれ以上誰か大切な人が死ぬのは見たくない。
 兼続は間違っている。
 彼の目を覚まさせる事が出来るのは、もう自分だけなのだから。


 (それにまだ私は、死ねない)


 三成の為にも。
 勿論、今目の前にいる兼続や、外で戦っている武蔵達の為にも。


 「幸村は兼続の内を分かってやる事が出来るのだな」


 随分と昔、三成はこんな事を言っていた。
 よく意味が分からなかったが多分今の状況に役立つ。


 「…私は、死ねません。三成殿の分まで生きると決めたのです」


 幸村がそう言うと、兼続の瞳に一筋の“何か”が現れた。
 決して光ではない“何か”が。


 「………三成なのか」
 「え?」
 「…また、三成なのか」


 次の瞬間、幸村は“何か”の正体に気づいた。
 嫉妬、恨み、憎悪。
 負の感情だ。


 「お前はいつもそうだ! 三成、三成、三成!! 何度それで私が傷ついてきたか分かるか!?」
 「兼続殿…っ」
 「私はずっとお前を見てきたというのに、お前は私を見ようとしない!!」


 兼続の瞳に現れた負の感情は、言葉を一つ一つ発する度に大きくなっていく。
 これは兼続の三成に対するものなのか。
 あるいは、幸村に対するものなのか。
 今の幸村には、判断がつかない。


 「三成が死んだ今、少しでも私を見てくれるのだと信じていた!
 それなのにお前はまだ、私を見ようとしない!!」
 「兼続殿、私は…!」
 「何故だ!? 何故なのだ!!」


 兼続が失ったものは、生きる意味だけではなかった。
 彼を支えてくれるものも、全て失ったのだ。
 たった一人で、兼続は必死になってもがいているのだろう。
 最後の希望である、幸村を“一緒に死ぬ”という形で手に入れる為に。


 「…確かに私は三成殿をお慕いしていました。三成殿も、同じ想いを私に対して抱いてくださいました。
 ですが、兼続殿は私の大切な友人です。私はあの友情の誓いを忘れた事はありません」


 兼続の内を気がつく事が出来なかったが、今から変えていけば何とでもなる。
 自分と一緒に死ぬ、という考えだって変わるだろう。


 「…止めましょう、兼続殿。死んで、何の意味があるのです。兼続殿も私も、まだやる事がある筈です」


 此処に慶次でもいればもっと簡単に説得出来るかもしれないが、生憎彼は此処にはいない。
 だが例え自分一人でも兼続を説得してみせる。
 なんと言っても兼続は幸村にとって大切な友人なのだから。
 すると、兼続の瞳に現れていた負の感情が消えていったのが幸村には分かった。
 先程まで荒々しかった表情も和らいだ。


 「幸村、私は…」
 「兼続殿!」


 分かって下さったのですね、とは続かなかった。
 大きな衝撃と共に、生温かいものが、何やら腹部から流れ落ちる。
 ゆっくりと、その辺りに目をやる。
 何だ、これは?
 深々と突き刺さっている鋭いものは何だ?
 そこから流れ落ちる、もう見慣れてしまった、赤いものは何だ?


 (刺されたせいで、血が…)


 では、自分を刺したのは誰だ?
 勿論、そんな事をした人物は一人しか考えられない。


 「兼続、殿………?」
 「幸村、私はやはりお前が欲しいのだよ」


 明らかに兼続の表情は先程よりも穏やかで、敵同士になるまで何度も見た事のある
 見覚えのあるものなのだが、その表情に幸村は恐怖を感じた。
 …狂っている。
 やはり三成の死で、兼続は変わってしまったのだ。
 幸村しか、見えなくなってしまった。
 どんな手を使ってでも、手に入れようと考えた。
 怪我など数えきれない程してきたからどうという事はない筈なのに、何故か身体に力が入らない。
 手から、武器である槍が離れる。
 そして、倒れそうになるところを兼続によって支えられた。


 「安心しろ、幸村。私もすぐに逝く」


 一体何を安心すればいいというのか。
 身体の力が抜け、意識がもうろうとする中、少しばかり幸村はそう思った。


 (申し訳ありませぬ、三成殿…)


 貴方の分まで、生きようとしたのですが。
 私に兼続殿を止める事は出来ませんでした。


 (例え今此処で兼続殿と果てようとも、死した後は三成殿の元へ……!)


 身体中の血が流れる。
 意識が、薄れていく。
 ちらり、と視界に真っ赤な炎が映る。
 兼続に支えられながら、ついに幸村は息絶えた。





 ***





 「幸村、何故私が徳川についたか分かるか?」


 相変わらず幸村の身体を支えたまま、兼続は言った。
 すでに幸村の亡骸は大分冷たくなっているが、兼続は気にしない。


 「最初から、お前をこうやって手に入れる為だけについたのだよ。義などではない」


 そう言って、兼続は笑みを浮かべた。
 穏やかなものだというのに、狂ったような笑みだ。
 兼続はその笑みを浮かべたまま、冷たくなった幸村の唇に自らの唇を押し当てた。
 そんな二人を、相も変わらず炎は揺れながら包み込む。




 執筆/2006/なち(水色)






















 例えばそれは血の様に



 「本当に、憎らしいよ」


 そう言って頬へと手を触れれば、身体が震えているのが伝わってくる。
 多分、恐怖のせいなのだろう。
 普通ならばここは優しく接するのだろうが、兼続はそうしようとは思わなかった。
 逆にむしろ快感を覚えるのである。


 「お前が三成や慶次が親しくしているのを見ると壊したくて仕方がなくなる」


 なあ幸村、と呟けば幸村の顔から血の気が引いていくのが十分と見てとれた。
 嗚呼、何てそそられる顔なのだろう。
 この顔が自分の手によって更に歪むのだと思うととても幸福だ。


 「兼続殿、一体何をなさるおつもりなのですか…っ」


 蒼白な顔で言う幸村の声はとても震えていた。
 その声が更に、兼続の理性を壊していく。


 「…さあな。それは、お前が知らなくても良い事だ」


 しかし幸村は大方、何をされるかなど気がついているだろう。
 何せ今の幸村の格好はというと、第三者が見たら真っ白になってしまうようなものだ。
 着物は着ているものの本当に薄い物だし、両手首は縛られ、更には兼続に覆い被されている状態。
 これで何も無かったら可笑しい。


 「幸村、私はお前を他の者になど渡したくない。私だけの物にしたい」


 私は貴方の物になった覚えはありません、と言う幸村の言葉も兼続には聞こえない。
 否、聞こえていたとしても兼続は聞こえなかったとするだろう。
 そんな言葉は兼続にとって不要な物なのだ。


 「だから、私の物だという印をお前につけようと思う」


 印をつける?
 まさか、このまま犯されてでもしまうのか?
 しかし次の瞬間、幸村は自分の予想が外れていた事に気がついた。


 「うぁ…っ!」


 首に“何か”が刺さった。
 目の前が、一気に真っ赤へと染まる。
 呻く幸村を見て兼続は満足そうに微笑んだ。
 綺麗に整った笑みだというのに、どこか可笑しな笑み。


 「嗚呼…何て綺麗なんだ、幸村」


 そう言いながら兼続はそれを引き抜き、別の箇所にも刺していく。
 その数だけ、幸村は悲鳴を上げる。
 綺麗だ、綺麗だ、と狂った様に呟きながら幸村の身体を刺していく兼続の姿は異常である。
 血を流す幸村の姿を見ても兼続は綺麗だとしか思わないからだ。
 何せ、兼続は血を血だとは思っていない。
 幸村が流す血は兼続にとって“血に似た紅い液体”なのだ。
 それにこの行為で残る痕、つまりは印の為には必要な行為である。
 よって、血は“血”ではない。
 ただの“血に似た紅い液体”なのだから。




 執筆/2006/なち(水色)






















 地獄の中で響く、遅すぎた声



 「あんた、幸村を一緒に連れていくつもりだな?」


 何もかもが燃え上がる炎の中、武蔵は兼続と対峙していた。
 この外では多くの仲間達が必死になって戦っている。
 そんな中、彼の為にも武蔵は来て欲しくないと思っているのだが、幸村がこちらへ向かっている。


 「幸村を道連れにして、死ぬつもりなんだろう?」
 「…例えそうだとしても、人斬り、貴様には関係が無い。これは私とあの子の問題だ」


 そう言う兼続の瞳は冷たく、この人物がかつて幸村の友だったとは信じられない。
 何故こんな奴と友であったのか、と思ってしまうほどだ。


 「幸村はあんたの事を頭がいいとか、尊敬してるとか、様々な事を話してくれたよ。
 だが俺は、どうもあんたがそいつと同じ人間だとは思えない」
 「あの子は人にはそう言って聞かせるだろう。私を美化し、己を隠しているのだ」


 武蔵には兼続の言っている事の意味は分からなかったが、
 やはり幸村が語ってくれた兼続とは別人に見えた。
 確かに頭はいいのだろうが、今の兼続は狂っている。
 きっと、もう一人の友が死んでしまってからの間でこうなってしまったのだろう。
 兼続は幸村を愛している気がする。
 友としてではなく、それ以上のもので。
 だからこそ幸村と共の死を望む。


 「なあ、兼続…あんた…」
 「私の逝く場所は地獄だ」
 武蔵が最後まで言い終わらないうちに兼続はそう言った。
 炎が大きく揺れ、二人を飲み込もうとするのを武蔵は見た。


 「そしてあの子が逝く場所も地獄だ。私が何をしたわけでもなく、あの子は必ず地獄へ逝く」


 すると後ろから足音が聞こえ、武蔵は振り返った。
 やはり、来てしまった。
 いくら自分が来て欲しくないと願っても、彼は来てしまった。
 炎と同じくらい真っ赤な鎧を身に着けた、真田幸村が来てしまった。


 「兼続殿…それに、武蔵…」


 そう言った幸村の声が、武蔵は酷く遠くから聞こえてきたように感じた。
 幸村が、遠い存在に感じられる。


 “あの子は必ず地獄へ逝く”


 違う。絶対に違う。
 幸村が地獄へ逝く筈が無い。
 そんな馬鹿な事があってたまるか。
 だが武蔵は、その事に関して確信が持てない。
 幸村は地獄へ逝かない、と言ってもそれはもう遅すぎる気がした。




 執筆/2007/なち(水色)