秋風



 「三成殿には、分かりませぬよ」


 そう言う幸村の口調は淡々としており、真意は分からない。
 ただ、幸村の言葉は先日の兼続を思い出される。


 「お前にあの子の気持ちは分からぬよ」


 兼続は確かにそう言った。
 まるで三成を嘲笑うかの様に。


 「私の上辺しか知らぬ三成殿に、如何したら私の気持ちが分かりましょう?」


 「上辺しか見えていないお前にあの子の気持ちが分かる筈が無い」


 嗚呼、同じだ。
 幸村は兼続と同じ事を言っている。


 「三成殿は知らないでしょうが、私は常に孤独で、一人なのです。三成殿とは違います」


 「お前はあの子の本当の姿を知らない。孤独で、常に一人のあの子の姿を知らない」


 ひやり、と一粒の冷や汗が流れ落ちる。
 口の中が酷く乾いている。
 思考が、麻痺していく。


 「ゆきむら、」


 三成がそう呼びかけると、顔を伏せていた幸村が少しだけ顔を上げた。
 深い暗闇を持った瞳が三成を捕らえる。
 

 「それでも、俺は、」




 執筆/2006/なち(水色)/拍手「冷氷推移(※現在非公開)」の続き






















 語るのは常に理想



 三成が幸村の事を好いている事ぐらい、左近には分かりきっている。
 それに幸村が三成を慕っている事も。
 三成は事ある度に「左近、俺はどうしたらいいのだろう」と言い、
 同じく幸村も「左近殿、私はどうしたらいいのでしょう」と言う。
 二人の間に挟まれ、左近はただの気休程度の事しか言わない。
 本来ならばすでに両思いになっているのだから協力するだろう。
 だが、左近は一切そうは思わない。
 何が悲しくて、自分の思い人を自分以外の人とくっつけなくてはならないのか。
 そんな事が出来る筈が無い。


 「左近、お前は三成を慕っているのだろう」


 突然とやって来たかと思うと、やはり突然と兼続はそう言った。
 この人はいつもこうだ。
 周りを注意深く観察していて、誰よりも頭がいい。


 「…さあ。何の事だか俺には分からないんだがな」
 「誤魔化さずとも私には分かっている。私も同じ様な想いをしているからな」


 兼続の思い人。
 左近にはすぐに想像がついた。
 とはいうものの、本当に合っているのかは分からない。


 「もしかして…幸村、か?」
 「ああ。私はあの子が愛しい。誰よりもだ」


 しかし、幸村は三成を慕っている。
 想いが届く事は無いだろう。


 「だが、私はお前とは違う」
 「俺と違う…と言われても何の事だか」
 「私は二人の邪魔はしない」


 そう言って兼続は笑った。
 爽やかなものだというのに、どこか冷たいのは何故だろう。
 左近が口を開きかけた時、襖がそっと開いた。


 「あ、兼続殿もいらしたのですか…お話の最中、申し訳ありません」
 「否、私は気にしていない。それは左近も同じだろう。して、何か用があったのだろう? 幸村」


 やって来たのは、丁度話題に昇っていた幸村だ。
 彼はまさか自分が話題に出されているとは露知らず、ただ困った様な笑みを浮かべている。


 「あの…三成殿を知りませぬか? どうやら自室にいらっしゃらないようで…」
 「三成ならば先程庭にいた。それからあまり時間はたっていないからまだそこだろう」


 そう言う兼続の口調は、成程、幸村への想いは明らかだ。
 左近ならばここは「さあ、知らないな」と例え知っていても言うが、兼続は教えた。
 確かに左近とは違う。
 幸村は「ありがとうございます」と言って微笑み、足早に立ち去った。
 しかし、そう時間も経たない内に、今度は三成がやって来た。


 「おい、左近………と、兼続もいたのか」
 「何だ三成。私がいてはいけないのか?」
 「別にそうは言っていないだろう」


 まったく貴様はいつもいつも、と三成は何やら呟きながら兼続を睨みつける。
 だが兼続は笑うだけだ。
 …それにしても。
 ふと、左近の思考に疑問がわいてくる。
 先程の兼続の話では三成は庭にいた筈だ。
 それなのに三成がやって来た方向はまるで逆方向。
 どことなく、左近には直江兼続という男が見えてきた気がする。


 「して、三成。一体どうした?」
 「ああ。それがだな、幸村を知らぬか? 見当たらぬのでな…」
 「幸村ならば先程門の辺りで見たぞ。きっと、まだそこにいるだろう」


 そうか、と言って三成も幸村と同じ様に足早に立ち去った。
 勿論、幸村とは逆方向へ。
 すると兼続は左近の方を見て、浮かべていた笑みを広げた。
 …背筋が凍りつく感覚がした。


 「どうした左近。そんなに険しい顔をして」
 「…否、何も」


 嗚呼、確かに自分とこの男は違う。
 自分が語るのは常に現実。
 しかし、この男が語るのは常に理想なのだ。




 執筆/2007/なち(水色)






















 貴方の為ならば



 その姿を見た時は心臓が止まる様な思いをした。
 幸村が。
 幸村が、血まみれで帰って来た。
 しかもその量は半端なものではない。


 「幸村っ!?」


 俺がその名前を呼ぶと、にこりと幸村は微笑んだ。
 俺がよく知っているあの笑顔だ。


 「三成殿、お怪我はございませんか?」
 「俺は無事だ!! それよりもお前の方こそ…っ」
 「ああ、これですか。大丈夫ですよ。全て私の血ではありませんから」


 幸村の血ではない?
 と、するとこれは誰の血だ?
 勿論、答えなど決まっている。
 幸村がこの戦で討ち取った数多くの武士の血だ。


 「…三成殿?」


 幸村が俺の名前を呼ぶが、俺は答えなかった。
 どれだけ多くの者を、幸村は討ったのだろう。
 いくらなんでもこれは多すぎだ。
 幸村が大した腕を持った者だという事ぐらい知っている。
 それだというのに。
 何故だか少し、幸村に恐怖を覚えた。
 俺は幸村の事を好いている筈だ。
 誰よりも愛しく想っている筈だ。
 それなのに、何故。


 「三成殿は、私が恐ろしいのですか」


 そう言う幸村の声から、表情からは何も読み取れない。
 違う、と言いたいのに声が出ない。
 すると幸村は、驚くほど冷たい口調でこう言った。
 

 「貴方の為にしているというのに、何故なのです」




 執筆/2006/なち(水色)






















 病の如く、毒を帯びた



 「幸村」
 「何でしょうか、三成殿」
 「…否、何でもない」


 幸村はただそっけなく、そうですか、と言った。
 自分の名を呼んだ三成の方を見ようともせず、逆に背を向けている。


 「幸村」
 「何でしょうか、三成殿」
 「…否、何でもない」


 先程と同様に幸村は、そうですか、と言った。
 三成に、背を向けたまま。


 「…幸村、幸村、ゆきむらっ、」
 「何でしょうか、三成殿」


 幸村は何度三成に名を呼ばれようと、振り向きはしない。
 三成も幸村に、何でしょう、と問われれば同じ答えを返す。
 何故なのか、幸村は知っている。
 三成は幸村の名を呼んで、何でもいいから幸村がそれに返してくれる事に、
 何かしらの満足感を得ているのだ。
 だから幸村は振り向かない。
 振り向けば、毒を浴びる事となる。
 そう。
 三成という、毒を。




 執筆/2007/なち(水色)






















 誇りと共に生き、誇りと共に死を



 (やはり、もう無理なのか…?)


 この様子では明らかに自分達が勝つ見込みは無い。
 この戦で、豊臣は滅びる。
 そして徳川の天下となるのだ。


 (私にはもう無理のようです、三成殿…)


 幸村にとってとても愛しい存在だった人物。
 彼が望んだ義の世。
 それがどうしても作りたかった。
 幸村と、三成と、そして今や敵となってしまった兼続と。
 だがそれも、一時の夢だった。
 関ヶ原の戦いで西軍は破れ、三成は死んだ。
 残った幸村と兼続はもう友ではなく、敵となった。


 (もう私に、生きている理由などはない)


 三成が死んだ時から自分は生きる理由を失くし、ただの生きる屍となった。
 一度は長篠で失くし、三成と関わるうちに取り戻したものの、また失くした。
 どうせこの戦は負ける。
 再び生きる理由が見つかるとは思えない。
 それならば、自分は、もう、


 「幸村は本当に武士なのだな」


 ふと、三成の声が頭に響いた。
 初めて幸村の戦いぶりを目にした時に三成が口にした言葉だ。
 嗚呼、これが走馬灯というものか。


 「自分の命を惜しまぬところは良いとは言えぬが…俺は、幸村のそういった部分は良いものだと思う」


 この三成の言葉が、何故だか幸村にはとても重く聞こえた。
 武士として生き、武士として死ぬ。
 そうだ。
 昔の自分は、こう思っていた筈だ。
 真田としての意地を貫く為に、常にそう思ってきた。


 (…まだ、死ぬわけにはいかないな)


 どうしてこの事を忘れてしまっていたのだろう。
 これが自分の全てだった。
 このまま死んでも、何の意味もない。


 「我が名は真田幸村!! 我こそはと思う者はかかって来るがいい!!」


 …三成殿、貴方が良いと言った通り、私は武士として生き、武士として死のうと思います。
 幸村は武器である槍を強く握り、敵陣へと突っ込んで行った。




 執筆/2007/なち(水色)